働き先(パート)から失踪して、もうすぐ一週間。

午後3時に起きて、呼吸法など試したものの、しばらくベッドから動けず。

午前1時になって、母の作ってくれたカレーを食べる。

精神安定剤の「レクサプロ」を服用する

(これさえ飲んでいれば自分はいつでも大丈夫だった。はずなのに)。

シャワーを浴びる。

それからようやく何かをしようという気になる。

・・・

 

 

仕事をしていたとき、メイプル超合金カズレーザーのことをよく思う。

金髪に赤い服・・・。

その風貌からバイトに受からなくても、先輩に「売れない」と怒られても、

自分のスタイルを貫いた。

西村賢太

 

自分は同僚たちのコミュニケーションや人間性への批判を鵜呑みにしていた。

仕事面と性格面。

毎日、仕事から帰ると、その日あったその二つのいけない点、できなかった点を

書き起こし、覚えるため、改善するために二時間、机に座っていた。

ある日、自分の中で改善する許容範囲以上を超えて、

仕事に向かえないと、耐えられなくなって逃げ出した。 

 

性格を改善しようとする作業は一人でいても行っている。

高校時代に挫折してから、じぶんはこのままではだめだと、

ノートに自分の良くないところをあれこれ書いて、

これからどうすればそれが克服できるのか、人と付き合っていけるかを

その日起こったことや会話を分析したりして、新たなる人との接し方が見いだせるまで

机に座って考えていたりした。

そうしなければ、不安だし、それが将来にとって、周りの人たちにとって、

自分が外で安心していられるために必要な作業だと思ったからだ。

 

 

 

ノートは押し入れに山積みになっている。

少しでも開くと、当時の悩み事や不安や自分がどうしたら

真人間になれるのかと言うことが一枚びっしりと書かれている。

前に部屋を整理していたときに思わず開いてしまって、

高校時代の演劇部時代の立ち回りはどうしたらいいか。

この先輩にはこういう風に接する。自分のポジションはああする。

演劇部は半年で退部している。

文章を読むだけであの当時の暗い出来事が明確に記されている。

 

しかし何も変わらなかった。

 

最近、十時間ぐらい眠る。少しゲームしてからまた眠る。

社会から隔離された日々。

 

正常だか異常だかわからない脳みそで思いついたことがある。

『自分を修正せずに生きていくとどうなるのだろう』。

『他人に修正されないように生きていくとどうなるのだろう』。

今までノートに書いてきたこと(昨日も、自分はバカだからどうしたら頭が良くなれるのか、ということを三時間の時間を費やして書いている)、

 

今まで会ってきた人は人と付き合えるし、説明も上手いし、仕事も出来るけど、

素晴らしい人格者というわけではなかった。

仕事上では人間的な欠点がある人ばかりだった(良いところもある)。

それは構わないと思う。仕事で人間的に優しい必要なんてないのだから。

気の弱い自分を見越して、好き勝手言う人が多かった。

他の従業員と話しているときと態度の違う人たち。

それが自然だと思う。

気の弱い人間に対等に会話をする、という行為は意識的に行わないとできないことだと思う。

『自分を修正せずに生きてきた』人間にとってはそれが自然で当たり前なのかもしれない。

 

カズレーザーもそうなのだろうか。

彼みたいな生き方がうらやましいと同時に怖い人にも思える。

あの従業員の人たちみたいに自分自身を貫いてきた人と同様に、

カズレーザーも同じように怖い。

 

『自分を修正せずに生きていく』

『他人に修正されないように生きていく』

 

素敵な生き方かも知れない。気持ちが楽になる生き方かも知れない。

しかし彼等のようになりそうで怖い。

うらやましくもあるけど自分には出来ない。

修正しない、ということは周りの人へのわがままのように、

自分には受け取れてしまう。

 

今回、自分は従業員の人たちの言葉を鵜呑みにしてしまい、

耐えられなくなって辞めてしまった。

今後、生きていくためには『自分を修正せずに生きていく』必要がある。

 

 

 

だけど誰かにああいう思いをさせないように、

今までノートに向かって自分自身を戒めてきたのだ。

でもそれで誰かが自分を好いてくれただろうか。

 

 

そんな簡単に、自分を修正せずに生きていく!、なんて書けない。

どうして『自分を修正せずに生きていく』と『ありのままの自分を受け入れる』と、

開き直って言えないのか。

自分こそ、修正してきたフリだけで、修正してこなかった人間ではないのか。

だからお前は駄目なんだ・・・